さはらやの倉庫 短歌と愚痴と雑記

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雑記(自分を責める自分について)

向坂くじらさんのしょぼい喫茶店にとても行きたい。
東京は遠いので行けないけれど。

けれど不思議だ。小中高で月曜日に本当に行きたくないと思ったのは数えるくらいしかない。
というか、かなりあったかもしれないけれど、忘れる程度のことだ。
学校はある意味サバイバルだったが、私はそれに勝ち残れたと思っていた。
学校は楽しい思い出の方がずっと多い。
なのに、しょぼい喫茶店に行きたい。
私なんか行っては行けないという気さえするのに。

あぁでも、大学を二留して、今も休学中の私はすさまじい不登校中とも呼べるのか。

あぁ、この文章を読み返して私は不登校をダメなことだと思っているとバレた。
文章を書くって、自分の中の偏見をあぶり出している行為みたいだ。
この文章もたぶん偏見に満ちている。

家族は好きだ。
友達も好きだ。
部活の仲間も好きだ。
恋人は大好きだ。

とても恵まれた環境に育って
なのになぜ、ちゃんと育てなかったのかと自分を責めるときがある。

あぁ、これじゃあ誰かをどうしても好きになれない人を責めているみたいじゃないか。
違うんだ。
たまたま私のまわりにはいい人が多かったという偶然を言っているんだ。

自分を責めるのはずっとじゃない
たまにだ。

それは生産的な考えじゃないし
それはネガティブなバイアスがかかり過ぎてるし
それを考える時間はほんの少しで、自分のこと好きだなと感じる時間だって持っている。

けれど、やはり
私は生まれなければ良かったと思ってしまう
こう考えることさえ罪だと思っている

私が悪くなった原因が私そのもの以外に見つからない
悪くなったというのは、突然つらくなるということ

誰のせいにもできない

つらい

誰かのせいにしたいというわけではないが
心の奥ではそう思っているのかもしれない

突然気分が落ち込む
軽い気持ちで死にたくなる

虐待や貧困の話を聞くと
私が虐待を受けずに、貧困も知らずに生きてきてごめんなさいと思う
そう思うことさえダメだと思うけれど、思ってしまう
私は恵まれているのに、ちゃんと育ててもらったのに
ちゃんと育てなかった

ちゃんと育てないと悪いのか?
違う
誰も悪いとか正しいとか良いとか言えない
そんな確かなこと私には分からない
ただ、ちゃんと育てなかった自分を悪いことだと責める自分がいるということだ

ごめんなさい
ごめんなさい

こんなこと四六時中思っているわけじゃな
けれど、たまにすぐに取り出せる場所にこのわたしは住んでいる

わたしにはわたしがたくさんいて
ソーダ水の中の泡のように生まれたり消えたりしているのだけれど
なんでそういうとあるわたしが生まれたり消えたりするのかさっぱり分からない

ソーダ水の中の泡の生まれるタイミングも消えるタイミングも、見ているわたしには分からないように

けれど、ソーダ水の泡はたぶん物理法則に従っているはずで
わたしもわたしが従うなんらかの法則を見つけようと必死になったり、諦めたりする。

つらい
嬉しい
空は
美しく
絶望の色だ