さはらやの倉庫 短歌と愚痴と雑記

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高安国世の短歌

鉄骨のかぎる一劃一劃に予感の如き夕映がある         『虚像の鳩』

ここばかり不思議に人の絶えながら風吹きぬける0(レイ)番乗場 『虚像の鳩』

広場すべて速度と変る一瞬をゆらゆらと錯覚の如く自転車    『虚像の鳩』

次つぎにひらく空間 音もなきよろこびの雪斜交(はすかい)に降る 『朝から朝』

すでに椅子ら卓に上げられ灯を消ししレストランに着く夢の中にて  『新樹』


椅子ひとつ水にすわれりうつうつと梅雨降りこむる川の中州に  『一瞬の夏』

濡れまつわる洋傘に手を差し入れて開かんとする畳まれし闇を 『光の春』


砕くれば何ゆえ白き水なるかふたたびを道は渓に沿い行く 『新樹』

人々の持ち込みて来し雨にぬれ電車の床のいちめんの濡れ  (未刊歌篇)

考えがまたもたもたとして来しを椅子の上から犬が見ている   『街上』

朝々の歩みに犬の吠え立つる次つぎに犬を吠えさせて行く  『一瞬の夏』

わが幼子頬熱くして立つ見れば蟇(ひき)ひとつなぶり殺ししところ 『真実』

夜をこめて轟く雨に覚めし子が羽生えしものが通るよと言ふ 『真実』


眠る児の掌ひらくことありて黒くなりたる綿屑が見ゆ  『真実』

口の中に蜜柑をふふむ幼子が眼を細め窓の雲を見てゐる  『年輪』

収入なき父が病む我に金を置き卵を置きて帰り行きたり  『真実』


幼き混沌のなかに差しそむる光の如く言葉あり人の口を読む 『年輪』


家も子も構はず生きよと妻言ひき怒りて言ひき彼の夜の闇に 『年輪』

旅に来て一日ふたりの子を守れるこのかなしみの心のこらむ 『Vorfrühling』

夕べの丘辿り登りて着きし家ともるが如し君が若妻  『真実』


かかる弱き心を友は持たざらむ妻をいたはり今宵も寝たらむ  『真実』

「捨身になれよ高安君」と既にわが言葉の如くなり帰り行く   『年輪』


子のために我を傍観者と呼ぶ妻にしばらく我は茫然となる    『年輪』

補聴器を買ふ話となりて来む夏の旅行のことは言はずなりたり  『年輪』


聾児らの走る間絶えず二階よりかかはりもなく楽は流れぬ    『年輪』

みどり児といへど女子の並び寝て夜床はやさし我らと子らと   『真実』


やさしさの萌すわが娘よ汝が知らぬ我もあるもの我を愛すな   『街上』

八百屋にも我は来慣れてためらはず嵩(かさ)ありて安き間引菜を買ふ 『真実』

とまどひて我は寝ながら父を見る千円の金包を胸の上に置きて  『真実』


五円札手握り持ちて宵々を幼子はひとり耳医者へ行く      『真実』

価高き林檎を子らと分くるとき怒とも恥とも寂しさともこれは  『真実』

抜き抜きて絶えざる畑のこまかなる此の草の名も知りたく思ふ  『真実』


いざ皿も洗はむパンも焼くべしと先生にあひし我帰り行く      『真実』


髭白く明るき声に幼ならに説きたまふ田も作り詩も作れと      『真実』


先生が居給ふとわが思ふのみに寂しき夜半の心ひらくる       『真実』


踏み均(な)らしおのずと出来し小径見ゆ見おろすときに行く人があり 『朝から朝』


コーヒーの湯気消えてゆく赤壁の思わぬ高さに黒き掌の型    『虚像の鳩』


カスタニエンの青きいがいがなりし実が茶色になりて鞄にありつ
『湖に架かる橋』


わが前の空間に黒きものきたり鳩となりつつ風に浮かべり      『街上』


呼びやまず―人かげもなき座礁船傾きて細き帆柱ふたつ     『虚像の鳩』


街行けばたのしからんこと多く見ゆ料理見本の並べる窓も    (未刊歌篇)


食道楽さげすみて来し果てにして恋ほし町々の物食わす店    (未刊歌篇)


今は在らぬ人の夢にて疑わず飲食店に共にありたり        『光の春』


心合う友さえもなき二人にて寂しき顔を並べて歩く      『砂の上の卓』


重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなる時に叫ぶや  『新樹』


かりんまるめろ我らがのちの世に実(な)らむひこばえ育つかりんまるめろ 『新樹』


わが病むを知らざる人らわが心の広場にあそぶたのしきさまや   『光の春』


会いたき人今はあらずも暖く心の中に我を見守る         『光の春』


われ亡くとも変らぬ世ざま思いおり忘れられつつドイツに在りし日のごと
『光の春』


ゆるゆると雪よ降り来よもどかしきわが病みあとの心の上に  『光の春』


さそり座に月かかりつつ音もなし青葉は少しづつ冷えゆかむ  『夜の青葉に』


少女ひとり道に下ろして雪残る谷深くなお行くバスが見ゆ    (未刊歌篇)


生姜 薔薇色に酢にひしめけり胎児らの墓を見たることなく 『朝から朝』


かすかなれば雨よりも音ひそめつつ落葉を降らすからまつ林     『新樹』


舗道より見当つけてくだりゆくベンチにすでに近づく人あり   『朝から朝』


Coffeeのe一つ剥げし壁面に向いて長く待たされている       『街上』


時刻表にありて来ぬバスひとり待つすでに待つのみの姿勢となりて  『虚像の鳩』


ためらいの心に似たり冬一日風に押さるる半開きの扉(と)      『虚像の鳩』


雨空をうつすガラスが風に振れはかなき光ひらひらとせり    『虚像の鳩』


かなかなや一声遠き森昏れて母と我との生まれ月来る       『光の春』


感情の起伏の如く来ては去る雨といえども暖き雨      『朝から朝』


疾走し過ぎゆくものをただ朝とただ夏として寂しみており  『朝から朝』


たえまなきまばたきのごと鉄橋は過ぎつつありて遠き夕映    『一瞬の夏』


塔2013年5月号
座談会「高安国世の歌を読む」
より短歌のみ引用