さはらやの倉庫 短歌と愚痴と雑記

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感想(新進歌人会に参加して)

感想(新進歌人会に参加して)

 5月19日、18時から京大で行われた新進歌人会の歌会に参加させてもらいました。歌会は短歌チョップ以来の二回目でちゃんと歌が読めるか不安だったのですが、主催の小林通天閣さん、参加者の完全なQ体さんと歌を読み合うことができ楽しい時間を過ごすことができました。本当に楽しかったです。ありがとうございました。
 新進歌人会の歌会はテキスト論的に歌を読むというスタンスで、歌の構造から言葉の選び方、助詞のひとつひとつまで丁寧に歌を読んでいくというのが印象的でした。よく歌会の感想で、歌の評を聞く前と聞いた後では歌が全く違って見えるというのを読んで知っていたのですが、自分自身がその通りの経験をして驚きで震えそうでした。
 歌は初読と二回、三回読んでいくにつれ表情を変えていき、他の人の評を聞くことで全く違う歌の一面に気づき、歌を読むということの深さに触れることができました。

 歌会録は主催の小林さんがまとめて新進歌人会のTwitterで後日流して下さるそうです。もし、これを読んでいる方がいらっしゃれば新進歌人会のTwitterをぜひ覗いてみてください。

 小林さんや完全なQ体さんの評を聞いて勉強になることばかりでした。自分と違う読み方というのは、自分は好きになれないと思っていたのですが、その考えは間違いでした。お二人の評を聞いて、その評や読み方が好きだと思う経験はこれからの大きな大きな糧になると思います。

 歌会での読みは歌を丸裸にする、その歌そのものをきちんと見るんだなと知りました。
 自分の歌が他者に読まれて、読まれて、読まれて、読まれることに耐えきれるのか。そこまでシビアな観点では歌を作ったことがなかったので、これからはそういう点も考えて詠もうと思いました。

 また、小林さんが最初にお話ししてくださった短歌とは、詩的とはなにかという話も興味深く聞かさせてもらいました。歌会の合間のテキスト論と作者論についても帰りの電車の中で反芻して考えています。


 詩は生き物であるというような小林さんの帰り際の話に、詩を読んだときの手触りを思い出してなるほどなと思いました。私が読んだあれは、詩に触れたと言えるでしょう。毛皮だったのでしょうか、皮膚だったのでしょうか、甲羅だったのでしょうか。あのざわざわとした心地は確かに自分とは別の命に対峙したときに似ているのかなと思いました。

 これは帰りの電車の中で少し興奮しながら(昨日梅田で買った高安国世のアンソロジーを読んでたのですが、言葉にしたいことが溢れてきたので読むのを中断して)書きました。拙文失礼しました。

追記
 都会は夜でも人がたくさんいました。