さはらやの倉庫 短歌と愚痴と雑記

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私と短歌+(良い短歌とは何か)

 さっき書いた「私と短歌1~3」に私と短歌が目指すものについて書き忘れたので少し書こうと思う。

 これは現在の私に関わる全てのものついて言えるのだが、私は今、将来のことを上手く描けないでいる。短歌のことだけではない。勉学のこと、部活のこと、大学のこと、家族のこと、友達のこと、全てにおいて目指すものを見つけられない状態にある。だから、今は今を大事に生きていたら、それで自分に丸をあげている毎日だ。

 さて、短歌のことだ。前はあわよくば短歌で賞を取ったりしたいと思っていた。まぁ、今も少しは思っているが、私の目指す短歌は毎日変わっていってしまっている。
 気分が落ち込む時には、私の短歌は愚痴製造機となるし、そうじゃない短歌のときもある。もう短歌なんて作らないと思う日もあれば、短歌を作るために四苦八苦する日もある。そんな日々だ。
 今日は短歌と私について散文を書きたい日だった。
 これから、私が将来の目標を持てるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。短歌についてもそう。そんなかんじです。



(良い短歌とは)
 短歌の目標を考えるとき、必ず私の中で問題になるのが、良い短歌とは何かということである。これは私と短歌についてではなく、短歌そのものについてに近い話題になるかもしれない。
 良い短歌とは何だろうか。
 私が思う良い短歌は以下のものだ。

上手な、もしくは効果的な日本語の表現が使われている短歌
詠んだ人の作りたいイメージが読んだ人に伝わる短歌

人を感動させる短歌、とか好きな人が多い短歌はそれに付随してくるのではないかと考える。つまり、私はいいねを多くもらえるというのは"私の考える"良い短歌に付随してくることだと考えている。もちろん、これは私が考える良い短歌であり、他人が考える良い短歌ではない。

 そもそも「良い○○」とは何かを考えると、かなり哲学的なことになる気がする。ひとつ反れてしまえば、良いとは何かという永遠の旅に出てしまう危険性まである。
 一般的に良い短歌は何かと言ったら、短歌について深い知識がある人たち、短歌を愛する人たち数人が、必ず根拠を提示した上で良いとした短歌なのではないかなと思った。
 そう考えると、短歌の賞は良い短歌を選んでいると言える。ただゴッホのように生前全く評価されなかったとか、時代が追い付いていない場合もあり、「今」良いとされない短歌が本当に良い短歌ではないということは一概に言えない気がする。
 人によって良い短歌は違うが(私の選ぶ良い短歌とあなたの選ぶ良い短歌は同じではない)、誰にでも言える「良い短歌」というものがあるならば、上のようなものになりそうだと思っている。

 私は今、良い短歌を主語として話しているつもりなので、いいねが多く付く短歌については何とも言えない。いいねが多く付く短歌、ひとつひとつを見ていかなければそれはどういうものなのか分からないだろうし、良いとか悪いとかも(基準を上に準ずるとして)言えない。
 いいねが多く付く短歌を主語として語るなら、また異なったことが言えるだろう。例えば、その短歌をリツイートした人がどのような人だとか、ぱっと目につく単語があるとか。それはまた、もう少し考えてたい。

 結局、私もいいねが多く付く短歌について考えてしまった。しかし、これもまだ一面であり、Twitter上ではいいねが多く付く短歌そのものより、短歌を作る姿勢について語られている気がする。Twitter上の議論も、一筋縄ではなく多くの人が多角的にものを言っているから、ひとつの事柄が話題になっているとしても、全員がひとつの事柄について認識し、ツイートしている訳ではない。私の見ているTwitterも本当に一面的なものである。当たり前のことだが、私はよく自分が見ていることが全てだとよく勘違いするので、最後に書いておく。