さはらやの倉庫 短歌と愚痴と雑記

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好きな短歌をパロってみた2

好きな短歌をパロってみた2
好きな短歌を真似して詠んでみました。2回目。


水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って(笹井宏之)

座布団で眠る 明日の不安から落ちた冷たいネジを隠して(さはらや)

海岸を走る テールランプから落ちる光を夜風にのせて(さはらや)


とても好きな歌。歌集ひとさらいのカバーにもなっている歌。一度読んで、冬の水田に散らばる楽譜が思い浮かび好きになった。真似してみたが、情景が目に浮かぶように詠むのは難しい。うまくいかない。

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広場すべて速度と変る一瞬をゆらゆらと錯覚の如く自転車 (高安国世)

五番ホームすべての音が止まるとき幻のように君の横顔 (さはらや)


高安国世の歌。広場の中で自転車だけがゆらゆらと錯覚のように、しかしそれのみがスローモーションで止まっているかのようにありありと目に飛び込む情景が思い浮かばれる。その情景を真似しようと思った。騒がしいホームの中であの人の横顔を見つけた瞬間、辺りが静まったかのように思えその横顔だけがはっきり見える。というような構図を詠んでみた。

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秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ (百人一首

冬の駐車場の沼は凍てついて私の靴が細く汚れる(さはらや)

赤色のポストの横の向日葵と見る方角を同じに止まる(さはらや)

百人一首の一番初め。私は百人一首を読もう!と思うと初めから順番に読んでいき、20首目くらいでいつも飽きるのでこの歌は覚えた。
詠み人を知ったときこれを詠んだのが農民でなく天皇ということに驚いた。
前半は情景の説明、後半が私の衣が濡れたよという事実。たぶん、百人一首の理解としては初歩の初歩にもいっていないが、真似するとなるとこうやってしか捉えられず、自分の理解度のなさを知る。
わが衣手に露は濡れつつ、は荒い藁の隙間を伝った露に衣が濡れると同時に、故郷に置いてきた家族を思い泣いているのだろう。こんな悲しい農民の歌がなぜ百人一首の最初なのだろうか。もう少し本を読めばどこかに書いてあるだろうか。ちゃんと読んでみよう。

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死ののちもしばらく耳は残るとふ 草を踏む音、鉄琴の音(澤村斉美)

骨ならば風がはっきり見えるはず空へ行きたい、土になりたい(さはらや) 

ここ歌は桜前線開架宣言で知った。それまで口語の短歌しか読めない……と思っていた私が、初めて文語の短歌もなんかおもしろいかも!と思えた短歌だ。鉄琴の音、という語彙は私の中でとても新鮮で心に残った。鉄琴の音、確かに私はそれを知っているが改めて言葉にすることを知らなかった。死んだ後も耳は残るという上の句も衝撃的だが、その残った音が(もしくは残ると思われる音が)草を踏む音、鉄琴の音である主体の人生がとても気になった。鉄琴の音、この語感がとても好きである。

上の句を中心に真似してみた。死ののちも耳が残るなら、骨になったらさぞかし風をはっきり感じられるのだろうなと思って詠んだ。もう少し下の句をひねれば良かったかもしれない。

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向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し(寺山修司

蝉時雨ヤカンで水をかけるまで祖父の墓石は私より熱い (さはらや)

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一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき(寺山修司

一対の太陽と月ありし春に霞みは私の産着であって (さはらや) 



最後に寺山修司の短歌を二首。寺山修司の文庫本の歌集の最初のページに載っている二首だ。どちらも向日葵の歌。
そのページには同じモチーフが何度も出てくる。チエホフの祭り、向日葵、死んだ父……。
父の墓標か自分より低い、というのは何とも心に来る。子供の頃は自分よりずっと大きかった父が死んで、その墓標は自分の背丈よりも低い。もう父を見上げることは決してないという事実。大きいと思っていた人が、もうこの世にはいない事実をありありと示されるようだ。
向日葵は枯れつつ花を捧げおり、これは夏の終わりなのだろう。枯れつつも花を捧げる向日葵を晩年の父に重ねているのではないかなどとも考えた。


一粒の向日葵の種まきしのみに……

これはこの歌集の最初の一首。処女地という言葉がこれから歌集を編み始める歌たちの最初のひとつとしてすっと背を伸ばしているように思える。我の処女地。これはまさにこの歌集のことだろうか。一粒の向日葵の種はこれからどう育つのだろうという期待、荒野という言葉に表させるようにまた未開発の自分自身。荒い青春の風が肌で感じられるようだ。