さはらやの倉庫 短歌と愚痴と雑記

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相聞歌 雨の日にしか来ない人

相聞歌 雨の日にしか来ない人

短編「雨の日しか来ない人」の私とワタツの歌のやりとり。


ワタツが名を名乗り、私を抱きしめた夜の翌朝、私の枕の下に一枚の短冊が置いてあった。
そこにはワタツからと思われる歌が一首。


くちなしの花の涙を集めては墨摩る水とする雨の夜


私は急いで墨と筆を用意して返歌を考えた。
ワタツの書いた短冊の裏側に返歌を書く。


雨の夜の波を掬ってまた返す夢見心地の満月の下


次の雨の夜、布団の上に短冊を置いておくとワタツが少し驚いたように私を見た。
そして「夜明け前に墨を貸してくれますか」と言った。私は頷く。
私とワタツの歌のやり取りが始まった。




戸を叩く嵐の声を聞き入れた君の吐息の静やかなこと

私ごと拐ってしまう嵐だと思う間もなく髪は乱れる




まだ青い野苺すみれカスミソウ子兎春の君のかわいさ

まだ赤い頬を隠して摘みに行く君にほどいてもらうシロツメ



幼子のように丸まる君の背とうなじの白き野に赤い花

夜明けには散る花ならばその蜜の甘さも知らぬままがよかった



なまぬるいうちわの風の立ち上がる君の衣は流るるごとく

夜も更けて溶けた氷は汗となりひとつとなれることの切なさ



朝焼けが小屋の隙間を通り抜け影は私の身体に落ちる

君が去る朝に名前をつけるなら悲しい文字をいっぱい使う



雨粒を遠く見つめる君だけが忘れられずに落とす口づけ

君の背に腕をまわした温もりは雨に消されぬ確かな種火



激情で君を壊してしまおうか部屋はふたりの凪いだ海風

朝顔の種を枕に忍ばせる君も私も同じ夕顔


続け続け虫よ鳴き続けよ床の夜は渡れぬ瀬よりもはやい

かの国の川の中洲に橋はなく水面に触れる裾は重たく



みぞれ雨君の恋しが聞けるかと思い訪ねてみてもつれなく

君の手の冬の匂いがすることの真新しさに少し怯える



君思う茜は空を染め上げて薄く伸ばした雲の縁取り

君思う鍬を立て掛け戸を閉めて乾いた土には足跡付かず



頂を駆け降り海へ消えていく風は確かに夜香を含む

風に請う君の香りを連れてきてくれぬかそれは磯であっても



太陽を恨むばかりで泣くそれが降れば私は息を切らして

雨乞いもできぬ私は貝になり雲を吐き出す夢ばかり見る



微笑みが春の陽射しを連れてきて私は君を隠すのだろう

触れる手が春を知らせて名をつけるならば"ほほえみ"君はほほえみ


私がワタツを追いかけて行った日の夜、私とワタツは納屋で眠った。その翌朝、ワタツは少し照れ臭そうに私に歌を伝えてくれた。


役立たずの傘を愛してくれますかあなたを抱きしめるだけの傘を

私はその歌に返した。

愛しましょう傘は折れても雨は降りあなたと共に生きていきたい


その次の雨の日から、ワタツは夜が明けても私の家に留まり、朝御飯を食べてから海へ帰るようになった。


続く