さはらやの倉庫 詩と短歌 

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短編 雨の日しか来ない人

雨の日しか来ない人


 私は海の近くの掘っ建て小屋にひとりで住んでいる。海で魚を採って、山で山菜を採って、畑で野菜を育てて暮らしている。たまに街から呉服問屋の道楽息子が訪ねてきて話相手をする。その人のことは嫌いではないが奥さんがとても綺麗だということは知っていて私も分別がある大人だった。

 ある日、嵐の夜に寝ていると戸が叩かれた。怖々と開けてみれば髪も髭もぼさぼさでびしょ濡れのぼろぼろの男の人が立っていた。
「一晩の宿に納屋を貸してくれませんか」
男は掠れた声でそう言った。私は怖くて納屋の方向を指差して頷いた。彼は納屋へ入っていった。
 朝になって納屋に行くともう男はいなかった。夢かと思ったが納屋の中が濡れていた。
 次の嵐の夜もその男はやって来た。髪も髭も整えた顔は私の好みであった。体は濡れていた。
「一晩の宿に納屋を貸してくれませんか」
男の声は低く優しく波の音のようだった。私は頷くと納屋の方を指差した。
 その次の嵐もまた次の嵐も男はやって来た。そして朝になればどこかへ消えていた。私は今までと同じように生活をしていたが、いつしかその男が来るのを待ちわびるようになった。道楽息子との会話は少しだけ上の空になって、そのうちかみさんが煩いからとうちには来なくなった。
 男が嵐の日だけではなく雨の日にも来るようになった。私たちは短い会話をして、男は納屋に寝た。
「納屋の寝心地はいいですか」
「良いです」
そんな馬鹿みたいな会話で私は浮かれたり沈んだりして海を漂う漂流物みたいに生きるようになった。
「どこから来たんですか」
ある日私は男に尋ねた。
「海から」
男はいつもぶっきらぼうだ。
「いつもびしょ濡れなので風邪ひかんように気いつけてくださいね」
私がそう言うと男が突然私を抱き締めた。私はびくりと体を震わせたがそのまま抱き締められた。そして驚いた。見るからに男の服は濡れているのに私が触れても私の手も服も濡れていないのだ。
「私はワタツと言います」
男が初めて自分から喋った。私の耳元を掠めたその声は雨の日の波の音に似ていた。

 次の日、朝起きるとワタツはいなかった。家の床だけが濡れていた。それから雨の日にワタツはやって来て、私の寝ている間に家の床を濡らして帰っていった。そういう日、私はよく花の布団で寝る夢を見た。

 その雨の日もワタツがやって来た。私はいつものように寝てしまっていたが、物音で目が覚めた。ワタツが家の戸を開けて外に出るところだった。私はこっそり起き上がるとワタツの後を追った。ワタツは小舟に乗って海に出ようとしていた。私はその小舟に飛び乗ったがワタツは私がまるで見えないかのように振り向きもせずに小舟を出した。ワタツが小舟を漕ぐ間、私はずっとワタツと空を見ていた。ワタツは本当に目の前にいる私に気づいていないようだった。
 小舟がとある小島に着いた。岩しかないような小さな島だ。ワタツは舟を繋いで岩を登っていく。私もそれに続く。洞窟のような場所に来た。ワタツは奥で誰かと話していた。私の知らない言葉だった。ふいにワタツが振り返り手招きをした。私は何かに取り憑かれたようにふらふらとワタツの元へ行った。ワタツの前には美しい女性がいた。私を見るとふわりと微笑んだので私はぎこちなくお辞儀をした。
「あなたの名前を教えてくれますか」
ワタツが私に聞いた。そうだ、私はワタツに名前さえ教えていなかった。
「私の名は……」
名前を言おうとして私は困ってしまった。自分の名前を忘れてしまったのだ。自分に名前があったのかさえ覚えていない。正直に覚えていませんと答えるとワタツが私の肩を抱いた。
「愛しい人だ」
ワタツは女の人にお辞儀をしてから私を連れて洞窟から出た。外は雨だった。私は隣を歩いているワタツを見上げた。ワタツは私を抱きかかえて小舟まで戻った。
「私は愛しい人なのですか」
「そう、あなたは私にとって愛しい人だ」
「雨の夜しか会えなくても?」
私の涙は堰を切ったように溢れ出した。さっきの女の人はだれ?あなたにとって私は何なの?あなたは誰?私の名前は?私が彼に問いただしたいことの代わりに次から次へと涙が溢れ出した。ワタツは困ったような顔をして私の手を取る。そんな顔をさせたいわけではなかったのに。
「雨の日だけでは駄目か」
私は首を横に振る。雨の日だけでもワタツに会えるのは嬉しい。しかし、それ以外の日もワタツに会いたくなってしまった。ワタツは私を抱き締めた。私はその腕の中でずっと泣き続けた。
 私の涙が枯れた頃、辺りは闇に包まれた。雨はまだ降っている。ワタツは小舟を漕ぎ出して私の家のある浜辺へと向かった。その夜はふたりともびしょ濡れでふたりとも納屋に寝た。
 その日から、ワタツは相変わらず雨の日の夜だけにやって来たが朝は私の作った簡素な朝食を食べてから海へ戻るようになった。少しだけ会話も多くなった。
「筍の季節か」
「はい、裏山でたくさん採れました」
ワタツは普段何を食べているのだろうと思ったが、何も食べていないような気がした。私の作った朝食はワタツの何になっているのだろうか。
「私が次の雨の日からもう来なくなったらあなたはどうしますか」
唐突にそう聞かれて、私はまだ名前を思い出せていないなと思った。
「どうするって……」
ワタツが来なくなったら私はどうするのだろう。すぐに死ぬかもしれないし、普通に生き続けるかもしれない。
「……分かりません。もう来ないのですか」
「いいや、来るよ。聞いてみただけだ」
珍しいこともあるものだ。ワタツはそういう戯れをあまり言わないと思っていた。
「私はあなたのことを知らないし、あなたは私のことを知らない」
今日はワタツがよく喋る。私は箸を置いてそれを聞いた。
「それでもいいし、そうじゃなくてもいい。あなたに名前がなくてもいいし、あってもいい。私にもだ」
「私にはよく分かりません」
まるで禅問答のようだと思った。ワタツは微笑んで筍を食べた。
「そういうことだ」
ますます意味が分からなくて首をかしげるとワタツが笑った。笑うと顔が少し幼く見える。
「そうやって生きていくということですか」
私はワタツがもう少し笑ったままでいて欲しくてそう言った。ワタツは少し驚いてまた笑ってくれた。
「そう、そういうことだ。あなたは賢い」
ワタツは朝御飯を食べ終わって海へ帰っていった。
 ワタツが初めて家を訪ねて来たときからもう三度季節が巡った。その時から私は歳をとっていない気がする。そういうものかと思った。
「あなたは何でも受け入れる。私のことも名前のことも変化のことも」
ワタツは朝御飯の時、たまに難しいことを言う。
「そうですかねぇ」
私の気の抜けたような返事にワタツが笑った。ワタツが笑うと嬉しい。
「これから毎日雨を降らせようか」
ワタツが笑いながら言う。
「それじゃあ毎日会えますね。けれど駄目ですよお仕事はきちんとしないと」
私は楽しそうに、それでいて少しだけ咎めるように言った。私はワタツが家に来ている時以外のことなんてこれっぽっちも知らないけれども、ちゃんと返す言葉を知っていた。
「そうだな」
きっとこれから彼のワタツという名前も消えていく気がした。ワタツは必要な名前だったが、もう役目は終わった。
「いつあなたを迎えようか」
「いつでも」
「波の音は好きか」
「はい、とても」
だってあなたの声の音だから、と思ったが口には出さなかった。

詩 評価されたい

書くべきことなど始めからひとつもないのに
携帯のフリック入力は存在し続けて、
誰かの親指は肥大し続ける。
ザクロのように割れた親指を
誰かが綺麗だと言ったから嬉しくなった。
誰かの真似をしないと評価されないような気がして
詩を読む。
読み返されもしない文字列は資源ごみになれない。
限りなく消費に近い生産にのみ
生きる意味を見つけた私が
覗く世界はいつもいびつであれと願っている。
真似真似真似。
真実はひとつもなく事実と虚構が作るDNA。
かっこつけて言ったことがすぐに私を殴り付けてくる。

タイトルは大事だと思う

1/9 追記

恥ずかしがっててはいけないね
今日は雨だ
朝は起きれた
そんなにつらくはない
行かなければいけないね

そんなに頑張って何になるの?
そもそもそんなに頑張ったことなんてないじゃないか

朝ごはんが覚めていく
冬ですよ

そんなに頑張ってもつらいだけだよ
みんな将来を考えてつらくてもやることはやってるんだ
いつまでも甘えててはいけないね
乳離れを早くしなければ











これは私のマスターベーション
人に見せて完結するオナニー。


今の私は一応躁極性障害Ⅱ型と医者から言われてる。

今、医学部の大学3年で1年体調不良という理由をつけて休学している。
推薦入学だったから、あまり学力がない。

私の主治医は大学病院の教授で、私の行っている学部の、つまり医学部の先生でもある。

私に対する診断が甘くなってるのだと思う。
決して先生を責めるわけではないが。

だってもし私が大学に行けない理由が私が医学部に行きたくなくて、大学に行きたくなくて、ただの甘えだったら、教授はどうしようも出来ない。
診断をしたら、診断書も書けて欠席届けも出せて、正当に大学を休める。そしたら私を医学部に留めれる。

でも、私の内心は大学に行きたくない。
大学に行きたくないから行ってない。
でも、将来のことは何も考えていない。
ただの怠けと甘えじゃないか。

しかし、私はそのことを人に言っていない。
周りに幻滅されるのを怖れて、病気だと言われることを利用して大学に行っていない。
家族に対しても、友人に対しても、恋人に対してもそう。
クズだろ、と思う。


このことについて話すと長くなるので後から書こうと思う。



少し私の生い立ちを。

昔から人の顔が覚えられない。
もしくはすぐに忘れてしまう。
たぶん、他人に興味がないのだと思う。


優しいねって言われて育った。
私の育った環境はとても恵まれていて、両親も祖父母も優しく、教養がある。
虐待なんて無縁だし、理想の家族だ。
経済的にも比較的良い方で恐ろしく高いものでなければ手に入れられた。
けれど、少し育ってからはそこまで物を欲しがらなかった気がする。私の主観だが。


逆にいろいろ与えてもらった。
与えてもらったものは数えきれない。本当に星の数ほどプレゼントをもらった。
それは決して物だけではなくて、愛情や知識や知恵や考え方や物の見方や、たぶん味覚の良さまで。

友達にも恵まれて、優しくて私が間違ったら正してくれる人たち。
側にいるとほっとして笑える親友。
そして、本当に私のことを愛してくれている恋人。
こんなに人を好きになったことはない。
そう思わせてくれた人。

これは自慢じゃなくて事実だ。

なのに、今の私はそんな人たちでさえ自分から遠ざけてしまう。
連絡を取ってきてくれても無視してしまう。

家族もそう。私のために伸ばしてくれている手を掴めない、掴まない。

ねぇ、何でこんな子に育ってしまったのだろうか。
こんな人間の出来損ないみたいになってしまったのだろうか。
自分を出来損ないと思って、そこで諦めて努力しない人間になってしまったのだろうか。
それが悲しくて表情が固い。せめて笑っていたいのに。

時々、原因が外にあればなんて思ってしまう。
どれだけこの原因を探っても、私の中に、私の甘さに行き着く。



私と周りの人と病気についてに戻る。

大学に行かない理由は病気のせいとしている。
誰に対しても体調が良くないので、という理由で通してる。
そりゃ、病気と診断されるはずだ。
でも、本当は大学に行きたくないだけ。
教室が怖いし、人の顔を見るのが怖い。
家を出るのがつらい。
時々涙がでるのに、テレビは普通に見れる。
家庭教師はまぁ行ける。
やりたくないことをせずに、やりたいことだけ、楽なことだけしてる。

私が人より劣っていると思われるのが怖い。

知り合いも先輩も友人も優しくて、決して私のことは悪く言わない。もしくは私の前では言わない。

なのに、怖い。
足が進まない。どきどきする。

1度人と話してしまえば笑顔で乗りきれる。
なのにそこまでの我慢が出来ない。
逃げてしまう。
つらいことから逃げてしまう。
みんなつらいのにね。

家を出るのがつらいのも、1度外に出てしまえばそんなに辛くない。
車に乗ったらつらくない。
運転するのは好き。
人の視線がある中を歩くのは今は好きじゃない。
友達とおしゃれして歩くのは好きだった。

何を話そう。
大学2年の秋に、少しおかしくなった。
突然すごく怖くなった。
理由がないのにひとりの時に10分くらい恐怖が襲ってきた。
それと、何をすればいいか分からない瞬間があった。
トイレに駆け込んで、どうしようって立ちすくんだ。
でも、誰かと居れば普通だし、楽しかった。

その頃から日記をつけ始めた。

勉強の追い込みがあまりできなくなった。
もともと医学部の勉強は苦手だったけど、ぎりぎり合格で滑り込んできた。

前にも授業を体調不良と言って休むことがあったけど、その頻度が多くなった。
理由はやはり分からなかった。

出席必須の授業に行けない日があった。
服を着て、鞄を持って、玄関の横で震えながら泣いていた。
外に出なければと思って、授業が終わる時間くらいに家を出て、車で6時間ほど走った。
家族にはバレないくらいの、勉強してたと思われるくらいの時間に帰った。

流石にヤバイと思って、無料の電話カウンセリングに申し込んだ。
泣きながら一時間話した。
カウンセラーに病院に行くことを進められたけど、お金がもったいないし家族にはバレたくなかったから行かなかった。

その時のテストはぎりぎり受かった。

次の単元はもっと授業に出られなかった。

体がしんどい日があった。
両肩が誰かにずっと押されてる感じで、動けないようなつらさもあった。
這いつくばって部活に行ったら、普通に元気に動けた。
そんなもんかと思った。
一応、鍼灸院に行ったり、鉄のサプリを飲んでみたりした。

家族には体がだるいと言ったが、心のつらさは言わなかった。ただただ辛かった。
時々バレないように泣いた。

恋人には全てのことを正直に話した。
電話口で号泣した。
学生相談室に行ったら良いとアドバイスされて、行ってみた。
何にでもすがりたかった。

泣きながら話してアドバイスを求めたら、日記をつけたら?と言われた。
もう付けてた。
カウンセラーが答えを見つけるんじゃなくて、自分で答えを見つけていく助けをするだけだと言われて、今思えば当たり前なのだが、その時は本当に絶望した。
最後の綱が切れたかと思った。

それから色々と自分で調べて、自律神経失調症ではないかと考えた。
うつにしては元気な時が多すぎるし、非定型うつかと思ったが、なんとなく甘えのような気がして嫌だった。

学生相談室のカウンセラーは自律訓練法が専門で、それを始めた。
なんとなく良くなった気がした。
1回、カウンセリングの途中で恐怖が襲ってきたけど、カウンセラーは見ているだけで、治まったらはいさようならだった。
少し悲しかった。



勉強は月始めはできたけど、最後は全くしていなかった。
テストに遅刻した。

時々部活を休むようになったけど、部活は楽しかった。
部活の同期は最高の仲間だと思った。
部活の大会で遠征とかもできた。

衝動的に恋人と神戸へ行った。
朝、怖くて泣いた。

次の単元は厳しくて、ちゃんと授業に出た。
そこらへんの計算をきちんとやる私が憎かった。
学生相談室は授業が忙しくて行けなくなった。

1回目のテストの後に部活の忘年会があった。
忘年会の会場の隣の本屋でうつに関する本を買ったことを覚えている。
忘年会では司会を任されて、楽しかった。
翌日に女子会もあって、おしゃれして行った。
たくさんガールズトークをして解散した。

その休日にもレポート課題があったけど、全く手がつけれなかった。
図書館で借りてきた、医者が書いた哲学に関する本をずっと読んでいた。

医学部に行かなかったら、文学部の哲学科に行きたかった。
けれど、高校の頃も哲学書はほとんど読んでいなかったし熱意はそのくらいのものだったと思う。

月曜日、レポートは結局終わらずに、それを指摘されるのが嫌で大学に行かなかった。
布団からさえ出なかったし、行かなければという気持ちもなかった。
大学へ行かないとこんなに楽なんだと気づいた。
その日はトイレにも行かず、食事もせずにずっと布団の中で寝るかケータイを弄っていた。

次の日も大学へ行かなかった。
行かなければならないという気持ちが全くなかった。
布団から出なかった。
友達からの心配するラインは無視した。

木曜日の夜に、親友のライングループに相談した。
恋人にも同じことを言った。
明日、病院に行ってみる!って宣言したけど行けなかった。

ずるずると日にちだけが経って、布団から出れない日が続いた。
ケータイで二次創作を見ていた。
全てのラインを無視していた。

2回目のテストの前日に流石に親に諭された。
ここで怒らなかった親は本当にすごいと思ったし、優しかった。
テストに行くんだぞと言われた。
行ける気がしなかったけど頷いた。

テストの日はテストに行かずに黙って病院に行った。
けれど病院の目の前で怖じけづいて、午前の診察時間が終わった。
ここで家に帰れば、もう病院に行けなくなると思って、午後の診察時間まで車を運転していた。
一番近い海まで。片道3時間ほど。
今、みんなはテスト受けてるんだろうなーって思った。

病院に行こうと思ったのは診断書が欲しかったからだ。
それなら欠席届けが出せて、1単位なら進級できる。

その後に病院に行った。心療内科だ。
うつっぽい症状ですねー。寝てたら治りますよー。薬出しときますねー。
と言われた。優しそうな先生だった。
診断書下さいと言えなかった。

夜に帰って、家族に薬が見つかった。
そこからあんまり覚えていない。
親がうつになった経験を話して、私を励ましてくれた。
休めばいいよと言ってくれた。
留年しても大丈夫と言ってくれた。
ずっと寝ていた。
ずっとケータイを見てた。
だから、そこまでうつ症状はひどくなかったと思う。

大晦日も正月もずっと寝てた。
初詣に行ったかどうか覚えていない。

不合格だったテストの再試があったけど行かなかった。
もう進級を諦めていた。

成人式も同窓会も行かないと決めた。
動きたくなかった。
あんなに楽しみにしてた振り袖が着れないのに、辛いときにずっと検索して自分を慰めていたパーティードレスが着れないのに、特に何も感じなかった。
もっと悲しむかと思ったけど、涙も出なかった。

余談だが、今日はその成人式からちょうど2年経った日だ。
Twitterで成人式の振り袖のツイートを見て、2年間で初めて成人式に出れなかったこと、振り袖が着れなかったこと、同窓会に行けなかったこと、パーティードレスが着れなかったことに涙がでた。
初めて、成人式に、同窓会に、私も行きたかったと思って泣いた。
だから、これを書いている。

涙と時間はいつもおいかけっこしてる。


それから、主治医が変わった。
今の大学病院の先生になった。

それから、私の留年することがほぼ決まった。
前期の単位は統べて取れていたから休学することに決めた。

恐怖は相変わらず襲ってきた。
そのための頓服を飲んでいた。
ずっと同じ曲を聞き続けた。

少し元気になって、部活の同期の集まりに行った。
みんな優しくて、励まされた。

恋人と散歩できるようになった。
ゆっくりと公園を歩いた。

3月になって、動けない日が増えた。
動きたくない日、の間違いかもしれないが。
恋人に誘われても家が出れなかった。
けれど、ケータイは時々見てた。
だから、やりたいことだけやっていたのかなと思う。
恋人と会うことだってやりたいことなんだけど。


4、5月もそんな感じ。
動きたくなくて、たまに恐怖がやって来て
ひとりでいると急に寂しくなったり、辛くなったり、体が動かなくなったり。

私が自分の意思でそうしたのか、他に原因があるのかは今でも分からない。


恋人と1回だけ会った。
家族に恋人と付き合っていることを初めて言った。


病院には2週間に1度行っていて、けれど車で自分で行けたから、元気だったということは分かる。
やりたくないことをやらなかっただけだ。


6月は少し元気になった。
ふとしたきっかけで短歌を始めた。
Twitterを始めた。
短歌は、思ったことを素直に言えてよかった。
1日70首以上、短歌とも言えないようなものをずっと作っていた。

7月、元気になって部活に復帰した。
部活は本当に好きだった。
仲間も、部活そのものも。
衝動的にプールに行ったりもした。

部活の他にサークルに行っていて、そのサークルの合宿にも行った。
夜更けまで、死にたい人を医者が生きさせるのはどうかという議題について話した。
私は死にたい人代表でいろいろ喋った気がする。


死にたいと思ったのはいつ頃だろう。
意識したのは高2頃?
前までも、辛いことがあると風呂場で自分が死んだときのことを想像したけど、特に理由もなく死にたいと思ったのはその時が最初だ。

別に本当に死にたい訳じゃない。
なんとなく死にたかった。
悲しくも辛くもなんともない。

課題のプリントに、ノートに、死にたいの文字をバラバラにして書いていた。

その後で恋人ができて、幸せな日々か続いた。

高校は部活に打ち込む日々だった。
部活するために高校に行っていた。
インターハイ予選の直前で調子が悪くなって、帰り道に強くなりたいと泣いていた。
とにかく勝つために必死だった気がする。

部活を引退したら、受験勉強に身が入った。
計画通りに勉強できるのは楽しかった。
結果もまあまあついてきて、楽しかった。

秋ごろになって、死にたい衝動が出た。
勉強が時々手に付かなかった。

でも、その他は普通の高校生活。
恋人と週に2回、一緒に帰るのが楽しみだった。

冬休みくらいから、気持ちが落ち込んだ。
冬休みの最後は4日間くらいなにもしたくなくて寝込んだ。
学校が始まれば普通だった。

なんとなくそのことを誰かに相談したかったが、みんな受験に必死なときに相談を持ちかける勇気はなかった。
大人には自分に幻滅されるのが嫌で話すつもりもなかった。

センター試験が終わって、推薦入試までは精神がかなり不安定だった。

医者になりたくない、医学部に行きたくないと真剣に思った。
医学部に落ちて留年したら、文学部に進路を変えようと思っていた。
決して誰にも言わなかったが。

病気の人をかわいそうだと思って、それを救うなんて傲慢だと思っていた。
人に人が救えるはずがないと思っていた。
だって、誰でも死ぬのだから。
それが遅いか早いかだろうと。

でも、死んだ祖父の遺言が私が医者になると良いな、というもので、それが唯一の心の支えだった。
在宅介護で死んだ祖父に全く優しく出来なくて、顔も見せずに終わった自分は一生罪を背負って生きなければならないと思っていた。

死んだ祖父も介護した祖母も父も、私を恨んでいると勝手に思っていた。
何もしなかった私は家族ではない気がした。
そんなこと思っていても、手伝いもせずに甘ったれて生活している自分がいた。
自分を責めることで自己満足していた。
この言葉に尽きる。

推薦入試の直前、たまたま目に入ったテレビ番組のサスペンスでヒ素を飲んだ被害者が死んだ。

それを見た瞬間に私もあんな風に死にたいと強く思った。
あんな楽な殺され方をしたい。誰か殺してくれと思って、そんな考えを持った自分に恐れおののいてひとりで泣いた。

翌日の推薦入試はケロリとして、元気に面接を受けた。
部活の話で盛り上がって、テンションマックスで自宅に帰った。
自分ながら呆れる。

それから、一般入試までは勉強のやる気があまりでなかった。
やることはやっていたが、とても受かるとは思っていなかった。
友達に少し冷たくした。
少し死にたかった。

2月の始めに、推薦入試の合格が決まった。
3割嬉しくて、7割悲しかった。
まだ皆が頑張ってるのに自分だけ楽するのが許せなかった。

推薦入試で合格した人たちは、私よりずっと優秀な人たちばかりで、医者になるために努力している人ばかりで心が本当に苦しかった。

私よりずっと努力していた人が落ちて、前が向けなかった。

けれど、入学までに時間があるから勉強を頑張ろうと思った。
英語の問題集を買ってきた。
結局やらなかったが。

合格から数日は合格の報告やらなんやらで外に出る機会が多かった。
自転車で家に帰る途中で、衝動的に交差点に飛び込みたくなることが何回かあった。死ねるかなと思ったが、他人に迷惑をかけると思ってとどまった
そんな自分がつらかった。

その時は本当に自分を責めた。

小さい頃は祖父が大好きだったのに、恩返しも何もできずに祖父が死んでしまったこと。
努力もせずに医学部に受かったこと。
医学部に行きたくないし医者になりたくないのに医学部に受かったこと。

合格が無くなれば良いと思った。
辞退したかったが、言い出す勇気なんて私にはない。
あったら、もっと早くに進路を変えていた。

私を育てるためにかかったお金を計算した。
これから私が稼げるお金を計算した。
宝くじでいくら当たったら、それらが払えて、私が死んでもいいかずっと考えていた。
自殺の方法もたくさん検索した。
その度に涙がでた。

インフルエンザになった。
体がきつすぎて、心を責めるのをやめてしまった。
たぶんやめなかったら、どうなるか想像がつかないが、いろいろとヤバかった気がする。
インフルエンザに初めて感謝した。

インフルエンザが治ってもずっとだらだらして、勉強をしなかった。

スマホは皆の入試が終わって、卒業式が終わるまで買わなかった。後ろめたかった。

春休みはたくさん遊んだ。
恋人が浪人した。
推薦なんかで受かった私は疎ましいだろうに、でも恋人は遊んでくれた
まぁ、楽しかった。

大学に入学してからまあまあ順調だった。
友達も出来た。
授業も楽しかったけども専門の授業の復習をしなかったため、どんどん分からなくなった。
時々、なんとなく死にたかった。

専門の授業の教授が小テストの結果を受験の種類別に分析して、私が合格した一般推薦が一番悪かった。
教授が何て言ったか具体的には覚えていないが、そのたき頭の血がサーっと下がって、今でも半分トラウマだ。
私なんかが推薦で入って、しかも全然勉強していないことの負い目がもっと増えた。
その時は本当に大学をやめたかった。
その時勇気を出してやめていれば、と後悔しても遅い。
もともと私に1度乗ってしまったレールから降りる勇気はどこにもないのだ。

専門のテスト直前まで勉強せずに、けれどもテストはぎりぎり受かった。
教授には、ぎりぎり受かったやつが一番留年しやすいと言われて、今その通りになって笑える。

サークルと部活に行ったら計3つ入って、最高に楽しんだ。
大学に入って良かったと思えることのほとんどが部活とそこで出会った人々だ。

夏休みは部活三昧。
今まで入賞なんて夢のまた夢だったが、先輩と共に3位になった。
本当に楽しかった。
死にたくない時期だ。

大会が終わったら、バイトも部活もせずにずっと寝てた。
私の基本生活と性格は小学生のころからこんな感じだ。
部活は好きだけど、後は寝てるって感じ。
たまたま環境と、少しだけ記憶力に恵まれたから、勉強でも良い思いが出来ただけだ。
その頃はまだそれに気づかずに、負い目も感じずだらだらしてた。

あんまり勉強してなかったので、夏休み明けのテストに落ちた。
ショックだったが、友達も落ちたのでショックが軽減された。


後期はだれた。
出席はぎりぎり取ればいいかなという感じで、暇だったけどバイトもしなかった。
バイトをしない負い目はあったが、なんとなく怖くてできなかった。
たぶん私のような学力の人間が他の人を教えるのが怖かった。
その時は少し死にたかった。
体が重かった。
でも、きっと怠けてたせいだ。

なんか、改めて書いていて自分の人間性に悲しくなる。
これだけ恵まれた環境を生かせないのは逆にすごいんじゃないかと思う。

実習だけは楽しくて真面目にやった。

部活の忘年会で同期で余興をやって、文句は言いまくったが結果的に楽しかった。
半分私たちの黒歴史だが。

春休みは……あまり覚えていない。
恋人が遠くの大学に合格した。

部活の新歓をやった。
個性的な後輩ができた。

2年生は勉強が厳しいので有名だった。
勉強のために部活の自主練とひとつのサークルに行かなくなった。

必死に勉強して前期は全て一発合格した。
大学生活で部活を除いて唯一誉めていいことかなと思う。
高校のころ出来たテスト直前の追い込みが全くできなくなっていた。
テスト前になると落ち込む。半分死にたくなる。
勉強したくなくなる。

逆にテストが終わると勉強したくなった。
自分でノートをまとめたり、過去問をしたり。

夏休みはやはり部活。
先輩が優しくて楽しかった。

1年のとき免許を取ったが、事故が怖くて部活の車出しが出来なかったのが少し申し訳なかった。

2年の後期の滑り出しはよかった。
後期最初の厳しいテストも受かった。
一年のときトラウマだった教授だったので、授業は良かったが、その教授の顔を見るのは苦痛だった。

しかし、秋くらいからは前述の通り。

時系列がバラバラで申し訳ない。

どこまで話したか……
そう、大学に行かなくなって、休学した時の夏休み。
夏休みは部活の大会もあって、休学中で時間もあって、けっこう遊んだ。
恋人の家に泊まったりした。
たぶん、大学の夏休みで一番エンジョイした気がする。

後期から休学を終えて大学に行った。

あ、これまでずっと通院してる。
その頃の診断はうつ症で、うつ病まで行かない抑うつ状態。
その年の1月に初めて今の主治医に診察してもらったときは、まあ抑うつだったけど治ってるっぽいし少し様子見ましょうみたいな感じだった。

次の診察で、少しずつ外に出てみましょうって言われて、外に出ようとするのが辛いって泣いたら、うつ症だって言われたけど。
一応、その時の涙は嘘ではなくただ辛くて泣けてきたことを弁明しとく。

それから、抑うつを抑える薬を飲んでた。新薬とかで、やたら金がかかった。

そう、後期で大学に復帰してからは行ったり行かなかったり。
行かない理由は動けなくて体調不良としていたが、本当に動けないのか、動きたくなくて大学に行きたくないのかは自分でも分からなかった。

まぁ、結果として大学に行かなかった事実は変わらないが。
部活の後輩がいて、仲良くしてくれた。
留年した私にとって本当に有り難い存在だった。


その頃に私の診断が双極性障害Ⅱ型に変わった。
薬も大幅に変わって、なんとなく正しい診断になった気がして嬉しかった。
友達にちゃんとした診断が出たと嬉々として報告した覚えがある。

ふたつめの試験はダメだった。
授業をかなり休んで、診断書出してもらって……ってかんじだった。
このときも本当に抑うつだったのか、私が大学へ行きたくなかったのか分からない。
うつか甘えかの違いは、行かなければならない、行きたいという意思があるかどうか、とどこかのサイトに書いてあった。
その頃はかろうじて行かなければならないもという気持ちがあった。


それから年末、年が明けて3月くらいまではとても安定していた。
恐怖が襲ってくることもこの頃に無くなって、短歌のイベントとかにも行った。

授業が楽だったのも大きいかも知れない。

3月終わりに動けない?動きたくない?時期があったが、外に出て動いてしまえば普通に過ごせた。


3年生になり、焦ったのは留年して唯一の友達の後輩がりゅうねんしたことだった。
学年に友達がいなくなった。

4月5月は躁状態とも言えるほど元気だった。
毎日4キロほど歩いて、プールに行って、活動しまくった。
バイトに応募しまくって、家庭教師を2件始めた。
家庭教師を始めた理由は、家庭教師をやっている間は自殺しないだろうというものだ。
経験やお金とかじゃなかった。


それから6月までは少し授業を休んだり、行ったり。
テストの点数は良かったのに、出席点で不合格になったのでけっこう休んでしまったのかも知れない。
このときは建前は体調不良だが、大学へ行きたくないのが大きかったかもしれない。

6月の終わりに、大学へ行けなくなった。行かなくなったのかもしれない。

朝起きて、起き上がろうとすると「つらい!」と思う。このまま大学へ行けば心が壊れる気がした。
たぶん、行っても心は壊れないし今からかんがえると壊れてしまえば良かったのにと思う。

まぁ、その時は自衛本能?みたく大学を休んだ。
1日休めば同じ理由でどんどん休む。

行きたくなかった、ということと少し矛盾するのは、大学を休む前日まで過去問を印刷してやったり、レポートを丁寧に書いて提出できるばっかりにしていたことだ。

勉強がスムーズに進むこと自体は嫌いではないのだろう。
新しい知識が入るのも嫌いではない。
それらを全て覚えきる努力をしないだけだ。
これは多くの人がそうだと思う。
けれど、みんな努力をして覚えて其の壁を登りきる。
私は少しの辛さで躓いて、怠けて、諦める。

結局、その教科はレポートで単位が取れて、命拾いした。

そうやって、甘いところを縫うように生きてきた。
病気と診断されて、その方が楽だと知ってしまった。
大学を休む正当な理由も見つけて、大学を休むことで辛くないことを知って、だんだん罪悪感を感じなくなった。

書いているとかなりヤバいやつだなと思う。

8月始め、部活の合宿の直前まで家でぐずぐずしていた。

私が大学へ行きたくないだけの理由で動けないなら、休みの時に動けない理由が見つからない。
でも、私の本来の性質が怠け者だから、病院を理由にずっと寝ているのかもしれない。

部活の合宿と大会はなんとか乗りきった。
ちょっと頑張った。

夏休みが終わって、9月中旬まで踏ん張った。
9月中旬で折れた。
理由は6月に休んだときと一緒だ。
大学へ行くのがつらくなった。

しかし、ひとつ焦ったことがあった。
大学へ行くのがつらくなったのもあるが、はっきりと大学へ行きたくない思いを自覚した。
大学へ行かない罪悪感が全く感じられなくなった。

今までは、もしかしたらちゃんと休まずに授業に出れるようになるかもしれない。卒業もできるかもしれないと思っていた。

しかし、大学行きたくない、大学へ行かないことに罪悪感を感じなくなった瞬間から前が見えなくなった。
このまま私はずっとこの状況から抜け出せない気がした。
退学を真剣に考えて、調べようとしたらつらくて泣けてきてあまり調べられなかった。

本当に辛いことに私は弱い。
なんとなく、辛いのを我慢しても良いことが無い気がしてる。
その割りに自分を責めることが好きで、計画的に考えることをしない。

それまでは、私が病気であると7割くらいは信じていたが、このとき私のこの状態は心の問題なのではないかと考えた。

主治医には、医学部が嫌だとかいっていない。
そりゃあ、医学部の先生にそのことを言うのは怖い。私には勇気がない。

カウンセリングで泣いて、話して、毎週のカウンセリングを始めた。
お金がかかったが、今まで散々、通院費も薬代もかかっていてもったいないという感覚が麻痺してる。

10月はまた大学へ行った。
普通に頑張れた。
休日は寝ていた。
夏からずっと部活には行っていない。
寝て休んでいる分の体力の衰えを感じるのが嫌だった。

11月に友達と旅行に行った。
楽しくて、その時は不安も何もかも忘れた。
長距離運転した。
とにかく元気だった。

その次の週は普通に大学に行くつもりだった。
しかし、日曜日になんとなく行きたくなくなった。
明日は行かないだろうなと思った。

そういうことは中学からあった。
例えば休日の翌日、休日気分から平日の私へと代われないとき。友達の会話にうまく反応できなかった翌日。中学では人間関係の拗れはいじめに直結して、私は苛められないように必死に自衛した。結果的に楽しい中学生活が過ごせたが。


そして、今。
11月6日から大学へ行かずに1月8日になる。
もうこれは病気とかではない。
大学が嫌で、怖くて行けないだけだ。
そのために大学のために家を出るのがつらくて、それが繰り返されて普段でも家を出なくなった。
家を出るのは、診察、家庭教師のみ。
家ではほとんど喋らず、起きず、何もしなかった。ずっと寝てた。
だんだん短歌を作れなくなった。
二次創作ばかり見ていた。
家庭教師では喋りすぎるほど喋って元気だったから、家では家族に甘えてるのだと思う。

家庭教師以外では、よく音が怖かった。話したいことがたくさんあるのに言葉にできない。

たまにテレビガ見れた。
お笑いで笑ってたくらいだから、そんなにひどくない。元気だ。
やっぱり、動かないのは甘えだと思う。

二次創作を書くようになった。
何か見たり読んだりするより、自分で文章を書き始めた。
私は前からそうなのだが、時々凪がれるように文章や短歌が書ける。
今もそうだ。
量を気にせずに、推敲もせずに頭のなかを書き続ける。
書けないときは便秘のときのように気持ち悪く苦しい。

年末も、年始も出掛けなかった。
初詣をしなかったのは初めてかもしれない。
家を出たくなかったし、何より神様に祈りたくなかった。
こんな甘えている、人として生きているとは思えない状態で神に祈って頼るなんて出来ないと思った。

もともと、日本の神様って好きで、正月はちゃんと神棚に手を合わせたし、神社も楽しみにして行っていた私の心情の変化はけっこう応えた。

布団のなかで30ふんくらいないてから、けれどその後に映画を笑いながら見てたから、現金なものというか、何とも言えない。


本当にやりたくないことから目を背けて、ダメな自分からメール背けて現実逃避したいだけなのだ。
好きなことだけやって、楽していたいのだ。

年始は家庭教師と1回だけ出掛けた。
少しずつ活動量が多くなっている。
たぶん母がはっぱをかけてくれたお陰だ。
自分からは甘えてるから動けない。
家族も私が病気だと信じて強いことを言わない。
とんでもない悪循環だ。
それをよく思っている私は最悪だ。

そして今日、1月8日。
明日から大学が始まる。
口では頑張って行くと言っているが、心の中では大学に行かないと決めている。
明日、ものすごく気分が良い以外は行かないだろう。ほぼ決定だ。

休んでいたから、留年はほぼ確定だ。
そうすると、来年2個下の後輩と同じ席で授業を受けるのは辛いとわかっているのに、その事に目を背けて目の前の辛いことから逃げるために去年休み続けた。

明日から行きたくない。
誰でもそうなのに、私は本当に行かない。

これまで長々と書いてきた私の心の中など全く関係ないのだ。
私が大学へいっていないことだけが事実だ。

何回も自分を分析しようとしたが、無理だった。
自分を客観的に見るのは私には無理だ。


辛いことから目を背けて、楽をして、現実逃避ばかりが得意になった。


そんな私がこれを書いている。

明日は診察の日でもあるが、何と言おうか考えている。



こんなクズな私だが、周りにはちゃんと取り繕って、パッと見は普通の大学生だ。
少し引っ込み思案の見た目にあまり気を使っていない女子大生だ。

家ではぐずぐずに甘やかされて、赤ん坊と同じである。
家事などの手伝いをしなければと思うが、全くしない。
それを誰も怒らない。
小さいころからそれがコンプレックスだった。

これを真面目系クズと言うのだっけ。
少し前そういうブログを読んでいた。
最近はそういう自分を見つめるものを読むこともない。

この前、不登校と引きこもりを調べて明日主治医に見せようかと思っているが。


家族に本当に申し訳ない。
申し訳ないと思っているのに反省してない。
行動に移していない。
こうやって、誰も知らないところで懺悔しているだけ。
せめてこれを親に見せられる勇気が欲しい。
私を育てた養育費を返したいし、
私がちゃんと育って大人になって稼げるはずのお金が宝くじであたったら、すぐにでも死ぬのにと思う。


今は恋人が悲しむから死なない。恋人と別れて、疎遠になったら死にたい。
でも、恋人と結婚してずっと一緒にいたいとも思う。
家庭教師先に迷惑がかかるから死なない。
家族に迷惑がかかるから死なない。けれど、このまま生きてても迷惑がかかるから、迷惑がかからない死ぬ方法とお金が用意できたら死にたい。


でも、死ぬ勇気はない。本当にない。
なんとなく自殺方法を考えるくらい。
死ぬべきだと思うときがある。
生きたいと思うと、罪悪感を感じる。

こんな、悲観的なことを書いているがそれは表面上だ。
この生活を楽しんでいる。
二次創作のTwitterは楽しい。
創作は楽しい。
創作物は私とは違うのに、その評価を私に当てはめようとする。

現実の私を改善する気持ちがない。

最後に私の得意なこと。
・魚の身をきれいにほぐせること。
・カレーライスをあまり皿を汚さずに食べれること(最近はやっていない。伊東家の食卓で覚えた)
・味覚がほんの少し良いこと
・あることに興味がでたら、一気集中して取り組むこと。すぐに飽きるが。
・愛想笑い
・人間関係を一時的に取り繕うこと(長期休みの1週間くらい前からとても気が楽になる。そのときに少し人間関係でヘマをしても相手は長期休みで忘れてしまうから、のびのびと過ごせるからだ)
・自分を表面的に責めて、可愛そうに見せること。特に最近上手になった。


これから付け加えるかもしれないけれど、以上。

私の家族、恋人、友人、知り合い、すべての関わった人に愛を込めて。


追記1/9
大学に行きたくない。
車にのって大学に行く。
途中で道を変えて自殺できるならここかなと思ってる場所へ行く道の途中までくる。
別に死ぬわけじゃない。
死ぬことがどれだけバカなことか分かっているつもり。
ただ、死なないようにするために頑張る気力もないし
死なないようにするために誰かにすがる勇気もない。
そんな価値ないと思っている。
でも、結局は大学に行きたくないだけの現実逃避。
お昼には大学病院の診察。
言い訳しすぎて私にも私の本音が分からなくなったから、言い訳はあまりしないようにしようと思った。
これから進むと道が細くなる。
車を傷つけると嫌だなと思う。
だったら、素直に大学に行けばいいのにね。
もしくは大学をやめるって言えば良いのにね。
どちらの勇気もない。

前はもう少ししたらやる気が出てきて、大学に行きたくなってその後も休まずに行けるんじゃないかって希望があった。
でも、大学に行きたくなって行けて勉強して、でも途中でまた行きたくなくなって休んでを何回も繰り返したから、もう無理やと思ってる。
たぶん、大学生活がスムーズに行けば大学やめたいなんて思わなかった。
だけど、大学をやめたかったから大学生活がスムーズにいかなくなったのかな。
卵が先か鶏が先か。
生物学的には、鳥で言えば卵が先で、微生物で言うと鶏が先だった気がする。
死ぬつもりはないけれど、もしうっかり死んでしまったときのためにこのblogを書いています。
遺書を書く勇気なんてのもないからね。

行くべきか行かざるべきか
それが問題だ

私の場合は甘えて逃げているだけ
強くなりたいと思うけどつらいのはいやだな

こうやって書いていると、これを読んだ人の冷静な批判がきこえてくる。
これは甘えてますね。とか
もっと現実的に考えるべきだ。とか
そんなに恵まれてるのに、私の場合はこうだったのに。とか

一方で、大変だったねと言われたい
やっぱり全てを許されたい
許されるべきじゃないと分かっているのに許されたい

こんな私ですが案外楽しく生きているよ。
嫌な大学は行っていないわけですし。
こうやって好きなことを書いてる。

人間は矛盾だらけで、それが愛しいと思う。


普通に大学生活が送れる人を羨ましいと思うけど、その人たちは私が我慢していない辛さを我慢した上でちゃんと生活を送っているからすごいんだよね。

辛いの分かるよ、って言われて、誰でもわかる辛さなのに私だけが躓いて、甘ったれてその前に進もうとしていないんだなって思う。

こう書いてると少しつらい。
朝からそこまでつらくなかったけど何回か泣きそうにはなった。

助けてとおもうけど
助けてくれている手を現在進行形で掴んでいない。
私の本当の理想としている助けしか
手を伸ばそうとしないし。
本当はそうしたいけど、自分で言い出せないから親が察して言ってくれるのを待っている。

自分の最悪さにヘドが出る。
大學をやめて、通信制大学に行って、就職できるだろうか?
でも今はそうしたい。
だいがくをやめるときに友達に何か説明鶴のさえ嫌だ。

前も大学をやめたいときはたくさん合って、その度にまた行きたくなる時期があって、やめなくてよかったと思ってる。

けれど、それを繰り返すうちに本当にいいのか分からなくなる。
特にこんな状態では。
家に帰りたい。
泣きたい。
もっと甘やかされたい。
誰にも分かられなくていいから、存在を許して欲しい。
お金が稼げなくてもいいよと言われたい。
お金が稼げなくてもいいよと言われたい。
お金が稼げなくてもいいよと言われたい。

それだけ。
今日はもうこれ以上道を進むのはやめようと思う。
また明日かもっと先に、行けたらいいかな。
1度行けば心理的ハードルが下がるからいざというとき良い気がする。
4月までは家庭教師があるけど、それ以降やめようかどうか悩む。
まず、やめる電話をかけれるかどうか分からない。
家庭教師をやめたら、後は心残りは恋人だけ。
恋人には死なないでって言われてるから、約束を守らないのは後ろめたい。
この辺でいつも死ぬのはバカだろうと冷静になる。

家にいたい人だってたくさんいて、学校行きたくない人がたくさんいて、それでもみんなちゃんと生活してる。
子供じゃないし、じぶんで決めた進路なのに大変だからってやめたいって言う自分がいる。
病気とかいじめとか人間関係とかで悩んでいる人がたくさんいる。
病気でもなんでもないし、周りの人にも環境にも最高に恵まれているのにわがままだけを言っている私がいる。


また追記を書けたらいいな。


診察に行ってきたよ。
明日から3回は午前図書館、午後ジムヘ行けるようにと言われたよ。
頑張りますと答えた。
頑張る気なんてないくせに。
受付の待ち時間に心がなくなった気がした。
もうどうでもよくなった。
薬もいらないし、来週の診察も行きたくない。
とりあえず徳山ダムまで車を走らせた。
死ぬふりをしようと思った。
向こうはみぞれ混じりの雪だった。
薬局に来たよ。
薬を貰うのが嫌で仕方がない。
嫌なことをしないで生きてるとこんな人間になるのかなと思った。
本当かどうか分からないけど。
ずっと死にたい。生きていたくない。泣きたい。
けど死なないよ。

短歌 嘘

頑張ると言うのは嘘で嘘ばかり上手くなったら医者も騙せる

曇り空くらいが良くて太陽は好きだったこと自体がつらい

嘘ばかりついてきたから本当に死にたいかさえ嘘に思える

動けるのに動かないだけ嘘だってつき続けるのはコツがいるから

誰か私の嘘を見破り嘘だっていいよと言って欲しいわがまま

短歌 ごめんなさい

ごめんなさい

心からごめんなさいと思えないことにごめんなさいと呟く

いい人じゃないと言えずにいい人と言われ続けて傲慢になる

永遠のループみたいな感情の終わりを見つけても知らんぷり

ずっと寝てる。つらいのは嫌。なんとなく死にたい。それがベストと思ってる。

民主主義はベストではなくベターだと言うことに少し助けられてる

楽な方へ楽な方へと流される 苦しむことを無視し続ける

懐かしい夢を見ながら泣いていた そういうことは好きではないのに

進みたいと建前を言う 留まりたいと言えば怒られると知っていて

怒られることが怖くて逃げている 怒られ慣れていない自分から

病気ではない。甘えだよ。病気だと言って、やりたくないことをしない。

衝動を文字にしたって変わらない現実だけが絨毯の上

オナニーと同じ行為を繰り返す誰にも見せない私の平和

オナニーを誰かに見せる 綺麗だねって言われることを期待している 

嫌い嫌い嫌い私が嫌い嫌い嫌い嫌いは嫌い嫌い嫌い 

許されるとどこかで思うこの叫びさえ可愛そうだと思われたい

許せない私もいつか許される気がして寝てる平日の朝

とりあえず攻撃性が外側に向かないように刀身を持つ

そんなにも優しくするなでもずっと優しいままで笑っていてよ

ひとつめのハードルさえも怖くってスタート地点で転んでみせる

つらいのは誰でもだろう甘えてる自覚があるからよけいに悪い

詩 許す

許す



今日の朝
私は許されたように
自分を許していた

怖くてもいい
苦しくてもいい
嫌だと思ってもいい
学校へ行きたくなくてもいい
美しいと感じてもいい
死にたいと思ってもいい
生きようと思ってもいい

朝食でハムを4枚食べれた
教科書を鞄に詰め込めた
着替えができた
靴がはけた
車に乗れた

怖くなかった
苦しくなかった
嫌ではなかった
学校へ行きたかった
美しく感じた
死にたくなかった
喜びで涙が溢れた

それから

学校の駐車場で
鞄に手をつけれなかった
車を降りられなかった

太陽が暖かかった

シートベルトを再びできなかった
アクセルが踏めなかった

人の目は気にならなかった
学校に行かなくてもいいよって許した
しばらくぼんやりしてた

家に帰ることにした
帰りながら色々考えた
私は悪い人間なのか
私は良い人間なのか
世界には悪い人間と良い人間が
いるのか
いないのか

家に帰った
横になった
何もできなかった

好きな音楽は15秒で聞くのをやめてしまった
好きな絵を見るのもやめてしまった
Twitterはすぐに閉じた

まだ返せてないラインやメールが山ほどある
提出期限の過ぎたレポートが山ほどある
テスト勉強の範囲が山ほどある

なにもなにもできなかった

寝ることしかできなかった

でもね、
私が私に「できなかった」を許したのはすごいこと
今まで
私は私に「やろうとしないだけ」を使って私を許しはしなかった

先生は、恋人は、友人は、家族は
私のことを「病気」って言うけれど
私はそれを信じなかったし
信じることを許さなかった

薬はちゃんと毎日飲んでた

でもね
今日は私が病気でもいいかなって思えた
病気を理由にすることを許せた

今までは
表面上の理由ではたくさん病気を理由にして
学校を休んだり
バイトを休んだり
遊ぶことをやめたり
会話をやめたり
して
ずっと横に横になっていた

けれど
病気を理由にすることを
卑怯だと思った
そうする自分を憎んだ
罰せられるべきだと思った

今日は
そんな自分でもいいかなと思った
許せても許せてなくても全て許そうと思った

青空が憎くなかった

明日も
私は私を許せているかもしれないし
許せていないかもしれないので

ここにひとつの
詩を残す


2017年12月4日月曜日の私から

21年11ヵ月生きてきた昨日までの私と
たぶんこれからもなんとか生きていてくれると信じる明日からの私へ

そして、この詩を読んでくれている人へ

大学 不登校
死にたい
行きたくない
勉強したくない
双極性Ⅱ型障害
うつ

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短歌 責めることは安心感

あいうえお短歌

責めることは安心感

明日生きるために寝るとか笑っちゃう笑っちゃうけどやっぱ生きたい

生きるため歌をうたって生きるため歌を休んで読んでうたって

うつ向くと前が見えなくなることに今ごろ気付いてやはりうつ向く

絵本では世界の色が決まっててほんとは自分で決めなきゃいけない

落ち着いて、恐怖に勝って、前向いて、大学へ行く。絶対に行く。

悲しいと涙が出るよ体験は誰に伝えるためにあるのか

昨日より良くなっていることがより私を責める道具にかわる

苦しいと息ができないもう何年肺呼吸してきたのだろうか

結婚を考えながら包丁の場所を探して寝るときもある

今度こそ思えば思うほど重くのしかかるこれの名前は期待

さびしさは時々会いにやって来て紅茶を飲んで帰っていくよ

死にたいに代わる言葉を教えてよあなたと共に生きていきたい

素敵だねみんな私はできないが普通の暮らしをみんなしている

責めるのは安心すると同じこと自責をしないことは恐怖だ

そんなこと言ってもできない気がします根性なしは生まれつきです

立ち上がる気力もなくて歌を詠む立ち上がれない歌を詠んでる

血まみれの死体となったら悲しんでくれるでしょうか 甘い妄想

包み紙くしゃくしゃにして捨てちゃった私のことも捨ててください

手のひらで掴み取ったと思ったがもともと持ってるものばかりです

特になし。悩みはいいえ。こんなもの小さなことでしょうそうでしょう

泣きながら私はダメだと思っても何もおきない夜は明けない

煮詰まってジャムなら甘くなるけれどきっと不味いよ私の体

ぬいぐるみを抱えて眠る瞬間が許されている気がする心地

寝転んで朝日を浴びて動けずに時計の針をじっと見つめる

飲み込んだ言葉は腸を通過して寄生虫みたいに生きている

張りつめた糸が途切れた人形は光をみつめて横たわるだけ

日の当たるところで寝ると日の陰るころに悲しくなって一日

普通なら、普通であれば、普通ではない、普通にはなれるでしょうか

変な人と見られたくない目を見ると怖くて指を無為に動かす

本当は生きたいもっと頑張りたい楽しみたいし笑顔でいたい

毎日が辛いわけではないけれど辛い未来に進んでいます

みんなみんな出来ることが私にはできない。理由がやる気しかない。

難しいことを考えてるフリをずっとしてきて空っぽのまま

面倒なことをやらずに生きていて付けが回ったとはこのことか

もう嫌だ死んだら誰も悲しまず骨だけ山に蒔いてください

山ほどの問題作りながらまだ休む気ですかやる気を出せよ

許される理由がなくて怖くって自責を始めて安心してる

夜になり朝が来ること怖いから時よ止まれと祈る毎日

来年は生きていますか屍のようになっても生きていますか

理由なき許しがほしい生きててもいいと誰かに教えてほしい

留守番にでることすらも怖くってダメな人だと思われたくない

列になる人に加われなくなってひとりしゃがんで小石をいじる

老人に優しくできず若人の役目をはたせず後悔ばかり

わたくしは死ぬべきであり生きるべきでもある。頑張れません、先生。

End

おまけ

死にたいとたとえ死にたくても明日大学へ行くことに揺れ揺れ

盛大な自己満足に生きている人の命は助けられない